田舎に住むということー技術系職種と居住地問題ー

明日は3/1。就職活動が公式にスタートする日である。
今日は就活時代の自分を振り返って、就職と居住地の問題について考えたい。

 

私は世間でいうところの"いい大学"を出て、現在"一流"と言われる企業で会社員をしている。
しかし、充実した生活を送っているかと言われると甚だ疑問だ。
そこには仕事内容とか、人間関係とか、プライベートとかいろんな理由が混在しているが、一番のネックと思われるのが「居住地」の問題である。

 

私がまだ純粋無垢な就活生だった頃、「やりたい仕事が第一!住む場所なんて気にしない!」と本気で思っていた。
正直理系の就活生の半数くらいはそういう考えの人がいると思う。
なぜそういう考えに至るかというと、技術系職種でやりたいことだけを重視して選ぶと、まあまあの確率で「そこどこ?」というレベルの秘境勤務地がヒットするからである。
つまり、技術系職種では勤務地の希望とやりたい仕事内容のバランスをとるのが難しい場合があるのだ。

私は技術系職種希望かつ仕事内容重視のポリシーの下、やりたい仕事を見つけ、とある「秘境レベルのど田舎」に就職した。
就職する前からちょっとヤバイかなと思ってはいたが、住んでみたら直ちに出て行きたくなるレベルの田舎である。(※筆者の主観による。)
でも、これから就活する人も、就活していたときの私も、よく考えてみて欲しい。
就職した先にある人生のことを。

 

当たり前だが、就職は人生のゴールではない。
その先には、パートナーを見つけて結婚するとか、幸せな家庭を持つとか、そういう学生の頃にはあまり現実味のなかった、仕事とは別ベクトルの道が突如として姿を現す。
会社に入ると、学部卒で入った2,3歳上の先輩がさも当たり前のような顔をして結婚している。下手をするとお子さんもいらっしゃる…
院卒20代半ば、彼氏なしの現実を私はここで知ることになるのだ。
私、結婚できんのか?


ここで問題となってくるのが、本記事のタイトルでもある「田舎に住むということ」である。
さあ、20代のうちに結婚したいとなると20代も中盤の今、私は1分1秒でも早くお相手を探さなければならない。女の市場価値を考えたら今すぐにでも動かねばならないのは明白だ。
だがしかし、この地で結婚前提のお相手を探すということはすなわち、この地に一生骨を埋めることを意味する。
え?私ここに一生住むの?てか、仮に子供ができたとして、自分の子供をここで育てんの…??絶対に無理。。。

 

困った私は急遽婚活を始めてみた。しかしここでも田舎の壁にぶち当たることになる。
パーティーに行けば交通費は嵩む(しかも収穫はない)、アプリをやれば近隣の人からしかいいねが来ない(居住地を変更すればいのかもしれないが、嘘をつけない性分なのだ)、たまに都会の方とメッセージ交換をしても居住地問題でフェードアウトされる始末(もちろん、転居の意志は伝えているのに…)…これは一体どうしろと…?

 

「やりたい仕事が第一!住む場所なんて気にしない!」
ほんの数年前まで本気でこう思っていた私に、言いたい。
それは数十年先の未来やこれから築かれるかもしれない家族のことも想定した考えか、と。


私は今、キャリアアップと転居のため転職に向けて動き始めている。
でも正直なところ、一度大企業の「囲い」に入ってしまった私からすると、そこから出て行くのはとても怖い。
今の会社は大企業だけあって、福利厚生は良いし、黙って働いていれば10年後には平均年収超えが約束されている。それを捨ててまで転職した先が、とんでもない企業だったらと思うと怖くてたまらない。
しかも、転職する頃には婚活の武器である若さも消えかけ…と思うとなおさらである。

 

しかし、私は前に進むしかないのである。
自分がこんなに、仕事よりも居住地を重視する人間だなんてちょっと前まで全然知らなかった。だから、私は私のした決断をプラスにする努力をせねばならないのだ。
「あんなど田舎に住まなかったら、今の私はない」と思えるように、日々精進するのみである。

 

…いつか、どんな職種であっても、好きな仕事を好きな場所でできる時代が来ればいいなと、技術者の端くれなりに思うのであった。

 

日本人はなんのために働いているのか考えてみる

今年度に入ってから「働き方改革」が叫ばれるようになり、紙面をにぎわせている。
うちの会社も例に漏れることなく、深夜残業・休日出勤はしないように、月残業時間はx時間内に収めるようにと推奨されている。
私は入社してから年次も浅いのでそこまで違和感なく、普通のこととして受け入れているのだが、長年長時間残業が当たり前となっている先輩方はそうもいかないようだ。

 

先輩方の言うことには、急に残業を減らせと言われても業務は減らないのだから困る、急に定時で家に帰れるようになっても家ですることがない、残業代がないと生活が立ち行かない…とのことだ。
…業務が減らないのはわかる。残業代がないと困る、というのも引っかかる点はあるにせよぎりぎりわかる。(弊社は一応、平均給与が高いと分類されるはずだが…基本給だけで生活できないというのは嘆かわしい。これが日本の現実か。)
だが、定時で家に帰ってもすることがない、とはこれいかに。私は未だにこれを聞く度に衝撃を受けてしまう。

 

私は学生時代、欧州や米国などで働く現地の社会人とお話する機会が度々あった。
その中で特に印象に残っているのはやはり「家族との時間が一番大事」とにこやかに話す人たちの姿である。
ドイツの某IT企業の社員さんは定時後一切、同僚とは関わらないという。飲み会、接待ゴルフ、休日に社内イベント…?そんなことをする暇があったら秒で家に帰って家族と過ごしたいそうだ。オーストラリアでは子どもの休みに合わせて3週間程度の休みを取得し、田舎でのんびり過ごす人が多いと聞いた。
そう、彼らは皆、家族と過ごす時間や余暇を楽しみに働いているのである。
 …すべての欧米人がそうした生活を送れているとは思わないが、少なくとも日本では「仕事<<家庭」といった価値観や、長期で休暇を取るといった発想は皆無である。
では日本人は一体何のために過酷な長時間残業をこなし、盆正月以外特に休むことなく働いているのだろうか。

 

多分答えは「自分の代わりをできる人がいないから」だと思う。
私は入社した会社以外は就活で説明を聞いたレベルでしか知らないのだが、一人が長期間休んだ場合に即座に穴を埋められる企業はあまりないのではないだろうか。
仕事はチームでやるもの、といいつつも、仕事をものすごく小さい単位で区切って考えた場合、すべての社員が何かしらの業務のプロフェッショナルになっていることは多い。しかも同一業務に2人以上のプロがいる例は稀有なのではないか。
自分の担当分の仕事は自分が消化しないと減らないし、減ったらまた新たな分担が降ってくる…その繰り返し。
しかも納期等の関係で仕事をこなすための期間はカツカツ。
そんな中で自分が休んでしまったら仕事は滞ってしまうし、ほかの人にも迷惑がかかる…そういう責任感から休めないのだと察する。

 

しかし、この状況ってどうなのだろうか。
…一般に残業が少なかったり、長期で休暇を取るのが当たり前の国の方々からすると、「誰か一人が休みをとると仕事が回らなくなる状態は不健全」なのだそうだ。
この基準からすると、日本国内で「健全な」企業ってどれくらいあるのだろう。。。

平日は上限ギリギリまで残業して帰ったら寝る生活、しかも有給は取れずにカレンダー通りのお休みしかないって…
私はどうしても、その人生楽しいですか、と聞きたくなってしまう。
「楽しいかどうかじゃねぇ、生きるために働いてんだ、仕事を趣味にしろ」と言う人が一定数いるのだが、私には苦し紛れの言い訳にしか聞こえないのである。

 

そんなに言うなら海外で就職しなさいよ、と言われそうだが…まあその通りである。
確かに、真に優秀な日本人はとっくの昔に海外しか見ていない。または起業している。
すなわち、私は日本の会社の従業員になることを選んでいる時点で二流だという自覚はある。
しかし、この日本という国はそれでいいのだろうか。
普通に定時退勤でき、長期有給休暇も当たり前の環境と仕事のやりがいの両立を目指そうとすると海外に出るしかないっておかしくないか。
…そんなことを思いながら、どうすれば自分の理想の働き方ができるのか今日もぼんやりと考えてしまった。

ふたば、ブログ始めます。

国立大大学院修了、大手企業勤務。

…私ふたばは、この部分だけ聞くとまさに、絵に書いたような経歴を持っています。

日本の教育界に敷かれた見えないレールに乗って、院を出るまであまり深く疑問を持つことなく、それなりに充実した学生生活を送ってきました。

そんな私が、「レールに乗っていることに疑問を感じながらも、レールから外れられない自分」を強く意識したのは会社に入ったことがきっかけでした。

 

自由に生きるとは、働く意味とは、自分の本当にやりたいこととは…

そんなまじめな話から、社会人になって突如現実味を帯びて迫ってきた結婚・婚活の問題まで。自分の道を確立しようと日々もがく、ふたばの日常を綴ります。

 

ものぐさな性格ですが、日々考えていることを自分の備忘録として残したいとの思いもあるので、地道に続けたいと思います。

 

2018.02.14(Wed.) スーパーで買ったチョコレート効果CACAO72%の傍にて